Category Archives: 論理

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なぜ ”the”でなく”a” perfect humanなのか

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オリエンタルラジオの新ネタ(新曲?)「PERFECT HUMAN」が人気を博しています。

オリラジが遂にiTunesの頂点に、「PERFECT HUMAN」が総合チャート1位。

オリラジのクレバーな感じはとても好きなので存分にがんばって欲しいのですが、ネタ中で中田が発する「I’m a perfect human.」というセリフに気になる点があるので考察してみます。

 

ネタ中で中田は何度も自らを「I’m a perfect human.」と称するのですが、これ本来であれば「I’m the perfect human.」とするべきです。なぜなら中田は「勝者の頂点」「真の支配者」と紹介されており、これは唯一の存在を示す”the”の要件を十分に満たしているからです。

なのになぜ、”the” ではなく”a” perfect humanなのか。

考えられるのはperfect humanたる中田と、藤森を始めとした民衆の間に温度差というか認識の相違があるということ。

中田としては、「I’m a perfect human(私は数いる完璧な人間たちのうちのひとりだ)」という客観的な事実を無表情に発しているだけで、世界を支配する気などない。

一方で、藤森は中田を「勝者の頂点」「真の支配者」などとあがめたて、「感謝の言葉 彼に乱射」「民共崇める準備はいいか?」などと民を過剰にあおり立てている。

つまり背景にあるのは、民の支配などに無関心な中田をよそに、藤森が勝手に中田を神格化し民を煽動して騒乱をおこしているという世界観なのです。

というわけで、the perfect human ではなく a perfect human なんです。

 

・・・なんていう理屈を考えてみたのですが、実際のとこ中田も件のセリフのとこ以外ではノリノリでダンスしてトップに君臨する気まんまんなんですよね。。やっぱりここは素直に「I’m the perfect human.」とする方が正解なんじゃないかと思います。

 

ちなみにperfect human の類義語として思い出されるのが究極生命体(ultimate being)のカーズ様。彼はもう唯一絶対の存在として世界を支配するためだけに生まれてきたので「the ultimate being」を名乗るだろうなーと思って調べてみたら、やっぱりそうでした。

THIS IS THE BIRTH OF CARS, THE ULTIMATE BEING!!!

 

以上、あいかーらずどーでもいいことを考えて遊んでる平和な日曜の午後です。

確定申告めんどくさい。

 

では。

 

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自由 論理

場所の自由、行動の自由、時間の自由

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前回に引き続いて思考の整理。

僕が連呼している自由とやらを少し深掘り。

 

僕が考える自由は大きく3つ。

・場所の自由
・行動の自由
・時間の自由

つまり好きな場所で、好きなことを、好きなときにできるか。

 

優先順位もこのままで、

まずどこに住むかってのが最初にあって、
次に何をするかがきて、
最後にそれをいつどれだけやるか

を決めるのが大体のパターン。

 

ここ数年は沖縄で好きなことをふらふらとやってて、まあそれが実現できるくらいの自由度はあるんだけど、じゃあ同じことをヨーロッパでできるかっていうとまだできないのが現実なので、もっと自由度を高めて(=色んな強さを身に付けて)いかないと。

 

この自由三要素を大きくおびやかすものの、わりと無視できないかもと最近思い始めたのが「誰とするか」。

三年前に会社員を辞めてからは基本ソロ活動。一時的に誰かと何かをやることがあっても、いつ自分がいなくなっても大丈夫なよう深入りしないスタンスだったんだけど、ぼちぼち誰かと組んで少し大きめのことをやってみるのも面白いかもなーと思ってみたり。

ソロ活動にちょっと飽きたのかもしれない。

 

ただ、誰かと組んで自由三要素が制限されることはやっぱり望ましくない!

当面ひとりでやってそうです。

 

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論理

怒りの発生メカニズムと対処法

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今回のテーマは怒り。

そもそも怒りとは何かというところから入って、それをコントロールするにはどうしたら良いかというのを考えてみます。

 

まず、怒りとは何か。

怒りの実体は混乱です。

人が怒るときに吐くセリフといえば「うるさい!」とか「邪魔!」あたりでしょうか。

もうちょっと長いのだと「なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないのよ!」とか。

これらの怒りが発露するための前提として、「自分としてはこうあって欲しい」という願望が存在します。

「うるさい!」であれば、自分は静かな環境で過ごしたいという願望が、「邪魔!」であれば自分はすっきりした環境で作業したいという願望が前提としてあります。「なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないのよ!」であれば、周囲の人は自分の気分を害さない言葉のみをなげかけるべきだという願望ですね。

で、その願望が実現しなかったときに怒りは発現します。

願望に支配されていたアタマが、突然つきつけられた現実に対処できず混乱し、コントロールを失っている状態が怒りです。

つまり怒りとは願望と現実のギャップに対応できていないアタマの混乱状態なのです。

 

では、起きてしまった怒りにはどう対処したら良いか。

願望と現実の間のギャップが混乱のもとなのですから、そのギャップを埋めるのが基本路線になります。

手っ取り早いのは自分の願望を修正すること。願望は願望に過ぎず、現実とは差があったいうのが目の前にある事実なのですから、それを受け入れて願望のレベルを現実にあわせて修正する。そうすればギャップは解消され、怒りも消滅します。

 

別の方法としては現実の方を願望に合うように修正するというのもあります。ただしこれが効果的かは場合によりけり。怒りの対象が話の通じる相手であれば話し合って変えて(変わって)もらうのも不可能ではないと思います。が、僕はあんまりやりません。基本的に人は変わらないので。特に人から押し付けられた外力によっては。

相手が全く聞く耳をもたなかったり、自分が取り合えるサイズを超えている(例えば相手が大きな組織であるとか)のであれば、そもそも相手を変えてギャップを解消するのは不可能です。その場合は、自分の願望を修正するしかありません。それもできないのであれば、最後の手段、関わりを断つことになります。

 

もっとも、一番良いのはそもそも怒りを発生させないこと。つまり、あらかじめ現実をしっかりと調べておき、願望とのギャップを小さくしておくことです。そうすれば怒りは発生しないか、発生しても小さくて済みます。

もし対象に対する十分な情報が得られないのであれば、その時点では願望は持たない。そうすれば現実があらわになったときに願望とのギャップにさいなまれることもなくなります。

 

となると、究極の怒り対策は常に願望を持たないことになります。願望を持たずに、全て現実ベースでものごとを進めていけば、怒りも発生しようがありません。

が、願望を一切持たないというのはさすがに味気も現実味も無いので、実際の落とし所は

・できるだけ対象のことは深く理解するように努め、過渡の願望は抱かない。
・怒りを感じたら、即座に現実と願望のギャップを探して、願望の修正を図る。

あたりがバランス良いんじゃないかと思います。

 

もちろん、こんな御託を並べるのと実行するのでは大違い。

僕自身は怒りをコントロールできるほど出来た人間ではないのであしからず。

 

では。

 

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論理

自分で選んだのか「選ばされた」のか

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僕は人に下駄を預けるのは性に合わないので、基本的に自分に関することは全て自分で決めるようにしています。

が、この自分で決めるというのが存外難しい。

決断の問題ではなく、選択肢の問題として難しいのです。

 

決断は言ってみれば論理の問題です。

対象の事物が持つメリット・デメリットを洗い出し、自分が優先する価値観に照らしあわせて整理する。そうすれば自ずと答えは出るので、自称理屈屋の僕にとって決断はそんなに難しくありません。

 

が、そもそも「どの中から選ぶか」という選択肢を揃えるのが難しい。

これは論理ではなく、知識と想像力の問題だからです。

 

例えばスマホの契約。最近はメジャーな携帯キャリア以外にもMVNOを使うという選択肢があります。

あるいは旅の宿。最近はホテルに泊まる以外にも、airbnbなんかのサービスを使って一般人の家に泊めてもらうという方法もあります。

こういう+αの選択肢は論理ではなく、知識と想像力で持ってくるしかありません。

 

+αの選択肢は他の選択肢よりも露出は少ないですし、賢い売り手はえてして+αの選択肢を隠したりもするので、+αの選択肢を揃えないままにどれか一つを選んでも、それは自分で選んだというよりは選ばされたに近いと思うのです。そして、選ばされた後に別の選択肢を知ったりするとけっこうな悔しさが襲ってきます。

だので、極力多くの選択肢から「自分で選んだ」と胸を張って言えるように、情報収集には普段からわりかし時間をかける僕なのでした。

 

では。

 

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怒りの発生メカニズムと対処法

 

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旅行 論理

ひとり旅ができる人とできない人

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人を分類するときの観点は無数にあります。

女性・男性、理系・文系、未成年・成年などなど。

こういった数ある観点の中で、かなり人の本質に近い部分で分類できると思うのが「ひとり旅ができる・できない」です。

 

ひとり旅ができる人は、基本的に自立した人です。

自分がやりたいことを自分で決め、自分で計画を立て、自分で用意をして、自分でリスクに備える。

そしてきままに旅を楽しみながら、万が一問題が起きたら自分で対処し、責任は自分でとる。

これらをひと通りできる自立した人が、ひとり旅ができる人です。

 

一方で、ひとり旅ができない人は、なんらかの点で他者に依存している人です。

旅を楽しむにあたって必要ななんらかのスキルが不足しているため、その点に関しては他者に頼らざるを得ないのがひとり旅ができない人です。

それは言語的な問題だったり、護身的な問題だったりと様々だと思います。ときどき聞くのが「ひとりだと楽しめない」という声。楽しむことを他者に依存するってことですね。

 

このように「ひとり旅ができるか否か」には、その人が自立しているか否かが現れるのですが、これはそのまま人生観にも反映されます。

自分で全部責任をとって人生をひとりで楽しむことができるか、あるいは何らかの点で他者に依存し他者と共に生きることを前提とするのか。

こういった人としての根本に近い部分に問いかけられるのが「ひとり旅ができるか否か」です。

もちろんこれはどちらが良い悪いではなく、その人の持つ特性に合った生き方をすればよい話です。「ひとり旅はできるけど、みんなで旅行する方が好き」なんて人もいると思うので、その人は両方を上手く使い分ければ良いと思います。

 

僕はもちろんひとり旅愛好家。

旅のパートナーはいてもいいけど、ひとり旅ができる人限定。でもって旅の中で一緒での行動と個別行動を適宜組み合わせるってのがよいです。

 

これそのまま人生観。

ひとり旅してるおなごでもナンパすっか。

 

では。

 

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自分で選んだのか「選ばされた」のか

 

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