電子書籍は「書籍」ではなくもっと物凄い何か

2012/01/23 - 22:35
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以前にとある新しい概念に名前をつけ(=言語化し)浸透するきっかけにしようと試みました。

一方で、既に言語化されている概念が時代と共にその姿を変えていく中で、過去の言語に縛られてしまい、概念の変化が見えづらくなることもあります。

その最たる例が「電子書籍」だと思ってます。

電子書籍はもはや書籍じゃないです。なのに「書籍」と呼び続けているもんだから、「書籍」にまつわる様々な縛りに捉われ余計な問題に巻き込まれる一方で、本来の可能性を発揮できずにいると思います。

そもそも書籍(=本)って何でしょう。

物体的には「糊付けされた紙の束」です。ただ、多くの人が価値を感じているのは紙の束ではなく「中身」だと思います。以前はこの「物」と「中身」が一体でした。その一体を称して「本」と呼んでいました。

しかしながら、近年の電子化の恩恵によりこの物と中身が分離できるようになりました。その結果、物から独立して存在できるようになった中身がいわゆる「電子書籍」です。が、これはかつての書籍の定義である「物と中身の一体物」でなくなっている時点で、もはや書籍ではないです。新しい何かなのです。それをいつまでも書籍と呼んでいるのが、いろんな不幸の元凶だと思います。

これを「書籍」扱いしているがゆえに、頑に「物と中身の一体としての書籍」の定義を守り続けている人から「裁断された本は正視に堪えない。などと攻撃を受けてしまうのです。

もっと不幸なのが電子化のメリットが十分に伝わっていないことです。物理的制約から解き放たれた中身はこれまでとは比較にならない新しい可能性に満ちています。

例えば「智の核」としての機能。物理的制約から解き放たれた中身は、もはや人間にとっての単なる一次情報ではなく、継続的に共有され、洗練され続ける事ができます。その中で人と人を結びつけ智を育んでいく智の核としての機能を持てると思います。

別の観点では、人間の情報が電子化された結果、人と人の関係が可視化された(=ソーシャルグラフが形成された)のと同様に、本もその情報が電子化されることで、本と本の関係も可視化され、本のソーシャルグラフの形成が可能になりると思います。そうなると核を中心に作られた智と智が繋がり合い、更に新しい価値を生み出すのではないでしょうか。

といった「智の核」と「本のソーシャルグラフ」。そこへ「人のソーシャルグラフが相乗的に作用し合った結果生まれる世界は、何かとんでもないモノになる気がします。僕は早くその世界が見たいんです!

かつての「(一体としての)書籍」を否定している訳では全くないです。物と中身が一体化しているがゆえに生まれる価値は間違いなく存在していますし、これからもそれは残ると思います。それゆえに、それとは全く異なる「物理的制約から解き放たれた中身」は書籍とは呼ばず、言語的にも制約を外し、もっと自由にその可能性を発揮していって欲しいです。

この「中身」、何て呼ぶのが良いんですかね。コンテンツ?味気ないしイマイチその可能性が伝わらないですよね。。。何か良い呼び方ご存知の方いましたら是非教えてくださいませ。流行らせましょう(笑)

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